奥の細道 仙台 6
十符の菅(とふのすげ)
…仙台市宮城野区・岩切
 民家の庭先に、今も往時を偲ばせる「十符の菅」が栽培されている。
十符(とふ)とは、10の節の事でありこの菅で編んだ菅菰(すがごも)はきれいな模様が浮き出て珍重されたとのこと。
菅は近辺の湿地帯に一杯生えていましたが、この地のものが歌枕の"代表"となったようです。
かの画図にまかせてたどり行けば、おくの細道の山際に、十符の菅あり。今も年々十符の菅菰を調(ととの)
へて、国守に献ずといへり。
 仙台から、多賀城に向かい、あんない村、比丘尼坂を通り今市橋を渡ったところが東光寺。
曾良の備忘録に「百姓屋敷の内にあって、垣で囲ってある。今も国主に菰を献じている。ここまでの道は田の畔(く
ろ)で、奥の細道と言う」
と記している。写真は、東光寺山門前の石碑。
 東光寺前の信号から、一つ西に行った信号の所から、山道に向かう細い通りがあります。
昔は木製の案内板があったそうですが、朽ちて再建されていません。下のSさんのお話では、仙台市に要望した
けれど『それほど、歴史的価値の有る史跡でも無い』と、断られたそうです。をいをい!どうなっているのでしょうね。

勉強不足な私のことはさておいても、遠くからいらっしゃる方には是非案内板の欲しいところです。

地元の人間でさえ入り口が分らず、凡その見当を付けて細道を上り詰めると小規模な畑に出てしまいました。
写真中央の一番奥のお宅のご主人に尋ねると、『手前の青い瓦の家だよ』とのこと。[写真:右上の奥のお宅]
標識か何か有りますか?との質問に『庭の中に有るから、そこの家に聞いてみたら』。 
半信半疑でSさん宅の庭を覗き込みましたが標識らしき物も有りません。
 来客中のご様子でしたが、意を決してお邪魔してみました。
『つかぬ事をお伺いしますが、芭蕉の十符の菅って言うのはどちらでしょうか?』
 『ここですよ!』
わざわざ、ご主人が出てきて説明していただきました。
 『この庭に有るのが「十符の菅」で、今は水辺で無くなってしまったので育ちは悪くなっている』ことや、
『昔道路脇に祠があって、十符の菅の札が有ったけど、今はここに別なのを納めています』と、陶製の祠を開けて
小さな何と言うのでしょう、やはり標識なのでしょうか(?)十符の池と記載されているのを見せていただきました。
 Sさん宅のご主人には、感謝・感謝です。

芭蕉一行は、ここを訪ねたようですがその後、菅菰の献上も止めてしまったようで「歌枕の観光地」も人々から忘れ
られた様です。
角川文庫:金森敦子著『芭蕉「おくのほそ道」の旅』で、芭蕉の後の紀行文・橘南谿の「東遊記」のエピソードを紹介
しています。
 道行く人に、十符の菅を尋ねても誰も知らない。そこで、案内村の茶屋で十符の菅(とふのすげ)を知っているかと
尋ねてみた。
すると女は『豆腐はここでございます。』
『いやいや、豆腐ではなく十符なのだが…。』
『ですから、豆腐はここでございます。お好きなように料理しますから、中に入って休んでください。』


ちなみに『十符』という言葉は、現在宮城県利府(りふ)町が『十符の里(とふのさと)』などとして使っています。
現在の「宮城県民の森」の周辺、この地仙台市岩切から隣接する利府町の湿地で菅の栽培が盛んに行われてい
た事からの命名だと言われています。