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塩釜市/塩釜神社 |
新暦6月25日、末の松山などを見学した一行は塩釜神社を詣でた。この神社は藩主が再建(注)なさって、宮柱が太く、
彩りをつけた垂木は輝いていて、石の階段はたくさん重なり、差し込む朝日が朱塗りの玉垣をきらきら輝かしている。
このような、道の果てのような辺境の地まで神の霊験があらたかでいらっしゃることこそ、わが国の古来からの風習なの
だと、大層尊く思われる。
神前に古い素晴らしい灯篭がある。鉄の扉に「文治三年 和泉三郎 寄進」(注2)と、書いてある。 |
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202段ある表参道の階段。JR仙石線・塩釜駅前から九十九折で登れる裏参道があり、車で上まで登れるのでこの階段に
挑戦する人はそう多くない。階段を上りきると、唐門が現れる。 |
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唐門と内側の、回廊。
(注)塩釜神社は、平安時代初期には有った事が確認されている。その後、当時の東北一の権力者、平泉の藤原家の
崇敬を受ける。またその後、仙台藩主・伊達政宗の手により1607年造営がなされた。 現在の建物は、4代綱村・
5代吉村公の手により1704年完成したもの。 |
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本殿・手前の拝殿と、右の写真は拝殿の奥にある左宮(たけみかづちの神)と右宮(ふつぬしの神)。
(注2)拝殿の左右に、下記の文治の鉄灯篭がある。「和泉三郎」は、奥州藤原氏、藤原秀衡の3男、藤原忠衡(ただひら)のこと。
彼は、文治5年、義経を最後まで守り、義経と共に兄の泰衡(やすひら)に滅ぼされた。23歳の若さであり、その2年前に灯篭を寄進している。 |
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国の重文になっている、文治の灯篭。
右は、境内から見る「千賀の浦」。塩釜港から松島湾内が見える。芭蕉もここから松島見学に出ている。 |
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さて、芭蕉一行は塩釜から船に乗って松島の雄島に向かいます。
その当時も、松島湾内の船旅はお酒などを積み込んでの遊覧だったと言います。写真の様なド派手な船は無かった
でしょうが気分は、今とそんなに変らなかったようです。 |
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