一宿の地/岩出山と、小黒崎・美豆の小島(鳴子町) |
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岩出山町は、伊達政宗が山形県米沢市から移って初めて宮城県に城を構えたところです。1591年(政宗25才)から12年間、仙台に移るまでここに居りま
した。「伊達な小京都」として、落ち着いた雰囲気と綺麗な町並みが楽しめます。
写真左は外堀の流れ(整備された「学問の道」)から岩出山城址を仰ぐ。
右は、城址に立つ伊達政宗立像で以前仙台・青葉城に有ったものを移築したものです。 |
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芭蕉と曾良の一行は、岩手県平泉を後にして一関を経て陸奥上街道を南下します。
岩出山側の「上街道」は林の中に入込んでいるため現在の松山街道(陸奥上街道)は、この「上街道」を半月状に残しながら走っています。
写真左は、天王寺一里塚からの旧街道への入り口。産業廃棄物場までは舗装道ですが、その先農家の前から未舗装の山道になっている(右の写真)。 |
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国道47号(岩出山バイパス=北羽前街道=羽後街道)から、2kmほど陸奥上街道に入ったところにある天王寺一里塚。江戸初期に一里ごとに街道の両側
に土塁を築き塚を置いた物であるが、完全な形で残っている貴重な場所。道路整備の際も上下線を左右に分けて、この塚を残すよう配慮された。
これを南下していくと、岩出山城址の下、現存する日本最古の学問所「有備館」に着く。
新暦6月30日、芭蕉一行は、下記の小黒崎と美豆の小島を見学してから宿泊しようと鳴子方面に向かったが、まだまだ
距離が有ると知り、立ち戻り岩出山の町に入った。 |
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芭蕉一行が宿泊したのは「石坂屋」と言う旅籠。右の写真の奥、白い建物と白い建物の間の現在警察の交番のあるところ付近といわれて
いる。その交番の北側に、上の芭蕉立像と町内案内板がありました。 |
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小黒崎のドライブインのおばさんに美豆の小島への道を尋ねたら、三分も行
くと小さな案内板があるのでそこを左に入ると川の中に美豆の小島があると
いう。国道に沿って歩き始めるも、三分後は未だ田んぼの中、少し不安にな
りながらも倍ぐらい歩くと、確かに案内板発見。この小道を進むと製材所が
あり、そこで小道が四方八方に。案内板も無く、迷ってしまう。水音を頼りに、
やや左手にカーブする小道を奥に進むとそれらしい感じになってきた。ただし、
ここで又問題発生。朝まで雨があり道路は完全に水の中。膝まで浸かりなが
ら河原まで歩くことになった。さて、河原に着けど目的地はいずこ? 川の中に
はそれらしきものは無い。そこで、少し東に向かって河原を歩くとやっと土砂
に埋まった岩が見えてきた。
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岩出山に一宿した一行は、「歌枕」に歌われる小黒崎・美豆の小島を見学します。岩出山町から鳴子町に入った町境に
「小黒崎」が有ります(町境のため岩出山の項に入れておきます)。その前に小黒崎観光センターと言うドライブインがあり、一服しなが
ら景観を望めます。春の萌黄色と秋の紅葉が綺麗です。芭蕉像も南の江戸をはるかに望み微笑んでいます。
『小黒崎みづの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを』…古今集「東歌」
小黒崎やみづの小島がもしも人だったならば都へ土産として、さあ一緒に行こうというところなのだが |
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江合川の中にある岩山が『美豆の小島』、案内書などで見ると川の流れの中にあるが…、今年春先の豪雨で土砂が堆積し
たのか河原に取り残されていた。左の写真は北(国道)側から見たもので左奥に小黒崎が見える。右の写真は南側からみた
もの。小さな鳥居がある。水の流れの中にあればもう少し趣が違うのかも知れない。陸続きなので「山頂」でお参りして来ま
した。『撮影日: H15.7.12』 |
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