| ■ 出立前 芭蕉庵と深川辺り | |
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| 芭蕉庵史跡庭園から見た船出の想定地・清洲橋辺り。 『奥の細道』への旅立ちに先立ち、それまでの居所・芭蕉庵を処分をして仙台堀川の前に有った「採茶庵(さいさあん)」 に移り住んだ。(深川1-9辺り、芭蕉像が有りますが今回は訪ねていません。⇒2007.1.20リポート頂戴しましたので、下段でご紹介します) 芭蕉と曾良の二人と、見送りの同人たちが採茶庵を出て多分青い橋・清洲橋の辺りから船に乗り、千住に向かった。 ★ 奥の細道『序文』とみちのくへの紀行動機は こちらで |
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| 芭蕉庵史跡庭園と芭蕉像。 | 隅田川・両国方面を望む。この方向に上って行った。 |
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![]() 【 芭蕉庵跡 芭蕉稲荷神社 】 1680年、芭蕉は江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだ 。これは、杉山杉風から提供を受けたもので、門人が贈っ た"芭蕉"が生い茂ったことから深川『芭蕉庵』と呼ばれる ようになり、ここを本拠とし、「古池や蛙飛びこむ水の音」 等の名吟の数々を残した。 芭蕉没後、武家屋敷となり幕末から明治にかけ消失しますが偶然 大正6年(1917)津波襲来のあと芭蕉が愛好したと言われる石像 の蛙が発見されここに芭蕉稲荷神社を建立、大正10年に東京府に より「芭蕉庵跡・芭蕉翁古池の跡」と認定された。 尚、この場所が狭隘なため、近くの場所に芭蕉記念館を建設した。 |
| 上の写真は、芭蕉稲荷神社境内の『芭蕉庵跡』、『古池や…』の石碑。 HPをご覧なった東京のJyoさんからお届けいただきましたのでお借りしました。[H19.1.19] |
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| 昭和56年に芭蕉記念館が完成。庭には芭蕉庵のミニチュア版が建立されています。 平成7年に冒頭の分館・芭蕉庵史跡展望庭園が開館しました。 |
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| 記念館に有る『草の戸も住み替はる代ぞひなの家』の 句碑。芭蕉庵を去るときの句。 住んでいた草庵も住み変わる時が来た。今度は雛人形も飾る華やかな 家になるだろう。 |
仙台堀川公園から掘川沿いに木場公園に来たら日本御 輿協会の催しが開催されていました。 木場公園大橋の下を流れるのが『仙台堀川』。 |
| ◆採茶庵跡 …2007.1.21 追記 | |
| ここの、『採茶庵跡』は、芭蕉稲荷神社の箇所と同様私が訪問しそびれた場所です。ご覧なった東京在住のJyoさんがわざわざ2006.1.20に 探訪してリポートして頂きましたので、写真とリポート分をこのコーナーでご紹介させて頂きます。 |
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| 早速「採茶庵跡」詣でして芭蕉さんにお逢いして参りました。 「庵」と云うからには何か赴きのある佇まいかと思っておりましたら、何とプレハブ造り?に、すりガラス付のモダンなお家でした(笑)。 あまりにもイメージが違っていましたので、チョイ意気消沈してしましました。 先ずは定番でしょう「採茶庵跡」の正面です。 芭蕉さん、庵の縁側に座っておられました。ここから「奥の細道」の旅にでられたそうですね。 [右上] 少しアップして芭蕉さんをはっきりと。 この「庵」の裏手は「芭蕉俳句の散歩道」となっておりました。 |
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| 「散歩道」です。左手、桜並木の間に芭蕉さんの宿泊先での俳句が紹介されています。 およそ150m位でしょうか? 大寒の寒空の上、時折り小雨がパラついておりましたので、訪れる人も殆どおりませんでした。 桜の時期なら訪れる人も多いのでしょう。 一句目はここ「深川」。続いて「千住」、「日光」…最後は「大垣」の計18点が紹介されておりました。 最後の地「大垣」での一句。 さくらん坊さんよりお先に「奥の細道」をはしょって旅して来ました。ものの15分くらいで(笑)。 |
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| 大垣から又、深川に戻ってきて、「庵」の裏口を見てこれまたビックリ!しましたヨ(爆)。 楽屋裏です。 芭蕉稲荷の別院でしょうか?小さな祠と庭園灯がありました。 夜間に点灯されると赴きも異なるのでしょう。 すりガラスの意味も何となくわかりました。 散歩道側から見た正面像。 せめて屋根くらいはスレートでは無く、「茅」(合成の)で葺いてくれればいいものを… と思いました。 「採茶庵跡」のご報告、お終いです。 … [2007.1.21 写真とリポートは、東京 Jyoさんより] |
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